ゆいまーる

yuitanbo.exblog.jp
ブログトップ

しょうがいとはなにか


このゆいまーるHPのリンク先にもある
ATARIMAE PROJECT 障害者があたりまえに働けるニッポンへ  のHP。
久々に、みてみました。
なんだか、サイトの情報がぐんとふえています。

そのなかで、働く障害者を応援するサポーターになるという
ATARIMAE宣言というコンテンツがあるのですが、
以前、私も宣言してみたのですが、宣言数が33720になっていました。
私の宣言ナンバーをみてみたら、29番目にありました。

(おひまならみてね。メッセージが表示されます。29番目は私です)
ATARIMAE宣言
日本中から、応援がいっぱいなのだと思うと、
あたたかな気持ちになりますね。


しょうがいがあるっていうことは、いったいどういうことでしょう?
環境(社会)により、その定義は大きく影響されます。

とても、大ざっぱな例えで、誤解をおそれずいいますと、
例えば、私は視力が悪いです。メガネは必須です。
アフリカの大地にライオンがいて、
一人は視力の悪い私(メガネなし)プラス、足が遅い。
もう一人が、日本でいう知的にしょうがいがあるとし、足が速いとしたら、
アフリカの大地で、ライオンに追いかけられた場合、
どちらがそこで「しょうがい」が大きい(そこで生きにくい)でしょうか?


「しょうがい」を作り出しているのは、そこで「しょうがいがないとされる人」側からです。
しょうがいがあるとされる人たちにとって、その「しょうがい」はわかりづらいものです。
(知的ハンディの場合は特に)
その人にとっては、自身はノーマルであるからです。

ニッポンで働くといえば、「生産性」「多くできること」など結果が求められるのが常です。
社会のなかでいえば、それが「あたりまえ」でもあります。

それは、「その人なりのせいいっぱい」が評価される世界ではありません。

この大きな生産、経済社会のなかでの仕組みに、
どう、しょうがいのあるといわれる人たちが向き合えるのか。

それは、ひとえに、「その人、一人一人を理解する心持ち」が、
その会社にあるかが大きいように思います。
働くことは、プライドです。
その人のプライドを大切にしてくれる、そんな会社。

私はその会社にはなれないけれど、そんな会社や、
そうあろうとする動きを応援することはしたいと思います。


そしてまた、
もう、ほんとうの豊かさを思う時代なのではないか、
その「生産」「多くできること」から脱した社会のなかで、
しょうがいのあるなし何かを分かつことのない社会(コミュニティ)のなかで生きたいと、
想って在るのが「ゆいまーる」です。

そしてなにより、私にそのことをおしえてくれたのが、
しょうがいのあるみんなとの出逢いと、一緒に添う年月だったのですけれど。

みんなは、訓練、指導のいつも対象者でありました。小さな時からずっとだと思います。
私は、そんな関係性を脱して、ただ一緒にいたいと強く思うようになったのでした。


久々にみた、ATARIMAE PROJECTのHPから、
こんな長文になりました。想いを改めて思う次第でありました。


d0112350_11772.gif

ATARIMAE PROJECT のロゴ。
ロゴデザインに込めた想いは、
「"それだけでは完成しないもの"の魅力」だそうです。


ぜひこのページを読んで下さい。↓
「ATARIMAE プロジェクト」の想いと決意 「あたりまえじゃない」今の日常
http://www.atarimae.jp/introduction/index.html
[PR]
by yuima-ru_tanbo | 2010-06-27 22:11 | 「ゆいまーる」にておもうこと