「ゆいまーる」今年の収穫量は、籾の状態で22.8キロとなりました。(面積66㎡=20坪)
※昔の単位では、「一坪」は一人が一日に食べるお米がとれる面積。(一坪=約3.3㎡)
(昔より現代の方が3倍以上収量が良いそうです。)
その量は、稲刈りのときに数えたとおり、
4本植えの870株の苗が、1株25本ほどになり、
1つの穂(1本)に 50粒強だったので、
(他の田んぼより少ないです。
舞岡の平均は100粒くらい。農家さんは120粒くらい)
50×25×870=1087500粒
22.8キロは、
100万粒のお米の重さです。
舞岡のお米は、みんなが活用できるようにとの理由から、餅米ですが、
お茶碗一杯で考えてみると、
お茶碗一杯=約2000粒として、(こんもりのご飯は3000粒)
1087500÷2000=543.75杯 のお米ということになります。
一日2食お米を食べるとして、一人で9ヶ月分のお米の量となります。
一年分には少し足らないということになります。
四人家族としたら2ヶ月分とちょっとというくらいでしょうか。
重さから考えれば、
精米をしたら、籾殻がとれ、糠がとれ、66%くらいの重さになります。(舞岡調べ)
なので、食べられる量は、約15キロほどになります。
ちなみに収穫したお米は、たぶん来年の炊き出し(3回かな、4回かな ♪)で、
お餅つきをしたり、おむすびにしたり。
残りは、収穫祭などで市民のみなさんに振る舞われます。
公園での、里山を守るための稲作は、地産地消。お米も公園の外には出ません。
ひとりの日本人が、
一年食べるお米をつくるには、
どのくらいの土地が必要であるのか。
ゆいまーるの田んぼでは、
すこし足りないということになります。
みなさんの食卓ではどうなるでしょうか...?
1億人以上の人が住むニッポン。日本の食料自給率。お米は100%です。
田んぼの風景はどんどん少なくなっているけれど、
自給できる田んぼの面積が日本にはまだあるということです。
昔の日本人は、今の2.5倍のお米を食べたそうです。
現代は、主食中心からおかず中心となり、麺類など他を主食とすることもふえています。
お米の需要が少なくなったことも、
田んぼが減っても自給率が保たれていることの理由といえるのでしょう。
値段もありますね。
ゆいまーる田んぼで15キロのお米とすると、ン千円の値段。
農家さんが生活をしてゆくには、どれだけの広さが必要なのでしょう。
広さが必要=機械化 そして農薬の使用...止むに止まれぬ流れなのかもしれません。
そして、
毎日食べている食料のほとんどを外国からの輸入に頼り、
しかも、輸入した食料の1/3をそのまま食べ残し=捨てているという現実。
きっとお米だって、たくさん食べ残されているはずです。
先日の
NHKスペシャル「ライスショック」 では、
お米を輸入する動きなど、新たな問題が取り上げられていました。
多くの国で、日本のために食糧が作られている。(他全体の日本の食料自給率は約40%)
それを作っている人は、安い賃金で地主に雇われ、重労働をしている。
その人たちの多くの人たちはその作物を食べることはできない...
お米も、そのひとつの作物ということになってしまうのでしょうか...?
これからの日本はどうなってゆくのだろう。
日本人の主食。私たちの主食。
田んぼで汗し、自らの食について考えることも、
田んぼの作業の、
大きな意味のひとつだと感じます。
ひと粒、ひと粒。もったいなくて、拾う。
お茶碗一杯の尊さを思うこと。
機械ではない、人の手による小さな田んぼ、里山の田んぼは、
ひと粒のお米の種が100粒の実りとなる植物の、いのちの恩恵を、
いのちの繋がりを感じる田んぼです。
「(いのちを)いただきます」の意味を、ひとりひとりが、もっとイメージする世界を。
できれば自給したいなあ...
他からのシステムばかりに頼らず、
自分に繋がることは自分でできる力を。
これからの日本を自分はどうしたいだろう。
まずは、自分にできることから。