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カテゴリ:「ゆいまーる」にておもうこと( 38 )

みんな生きなければならない This World is For All Life

 
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久しぶりに行った、舞岡公園は、陽射しがまぶしく輝き、
迎えた春にいっせいに芽吹いた植物たちの「動」の世界にあふれていました。
今のこの状況下にあり、なにかとても勇気づけられるような気持ちをもらいました。


「みんな生きなければならない This World is For All Life」
この言葉は、私がとても共感している記録映画のタイトルです。
作品の解説には、

人間・生物・地球の未来へのメッセージ。
鳥なく環境(さと)こそ人間にとっても生きるための絶対条件。
まちがっても、鳥の鳴かない「沈黙の春」を到来させてはならない!

...とつづられています。


原発という人災のあと、私たちの暮らしは、
放射能物質と向き合いながら暮らさなければならないという状況になりました。
野菜への汚染、水への汚染もあらわれるなかでも、
ふつふつと心に感じていたことがあります。
それは、その場所で今もなお、暮らしていくことを決めている以上には、
土(大地)とのつながりは、断ってはいけない、ということです。


田んぼでは、もうすぐ種を下ろします。
放射能物質の広がりは、長期化するかもしれません。
そのなかでも、ずっと今まで続けて来た人々の営み、
それに伴う様々な生きもののにぎわいを、私たちは断つべきではないと感じます。
実ったお米に影響が出るかもわかりません。
それを「食」する段階になったときの判断と、
そのいのちの営みを継続することは別な問題だと私は考えます。


例年より、迎えた今年度は、
田んぼコミュニティ「ゆいまーる」の活動の予定を考えてゆくことに
時間をかけています。(遅れていましてゴメンナサイ)

迎える今年は、そういう意味でも
想いの深い、田んぼの一年になるのではないかと今感じています。

人が生きてゆくなかで、土と離れることはできない。
人が生きているということは、すべての生きものも生きているということ。
人だけが特別にはならない、暮らしの在り方を思う、田んぼの一年になるでしょう。

もちろんこの状況下で判断すべきことは日々しながら、
迎えた一年を歩んでいきたいと思います。

皆様のご参加を心よりお待ちしています。


             新年度によせて 
             田んぼコミュニティ「ゆいまーる」主宰 ゆきんこ

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原発事故から今まで、
得た多くの情報をみなさんとシェアし、ご自身の判断材料のひとつとなればと
この「ゆいまーる」webでアップしてきました。
多くの方々にアクセスいただき、ありがとうございます。
大きな動き(...あったらイヤだけど)があれば、またアップするかもしれませんが、
今後この「ゆいまーる」webは、通常の内容発信にしていこうと考えています。

ので、原発関連のことについては別サイト
天上の青(個人のサイト)にてアップするようにしたいと思います。
このサイトは横のリンク集にはおいていない私的なものなので、ここでは初公表です
(はずかしいので、1回限りの公表ということで)
よろしくお願い致します。
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by yuima-ru_tanbo | 2011-04-01 12:58 | 「ゆいまーる」にておもうこと

「生きもの語り」 への寄稿

3月21日追記
事務局から連絡が入り、
計画停電による作業、印刷時間、ページ数の短縮の理由により
今月号への掲載は見送りとなり、来月号に掲載されるそうです。

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「ゆいまーる」の田んぼのある舞岡公園(横浜市)で月に1回発行している
「舞の里だより」。3月19日の今日、第192号が発行日です。

そのなかで、持ち回りで連載をしている「生きもの語り」。
今月は私が執筆しています。
いつもはサイトにはアップしないのですが、今回はここにアップしたいと思います。
長文ですが、読んでいただけると幸いです。

ーーーーーーーーーーーーー

生きもの語り  
第17回 「人と自然とエネルギー の巻」

〜草虫暦〜(二十四節気・七十二候) 春分 桃の花が咲き、菜の花に蝶が舞う頃

寒かった冬。今年は舞岡でも数日雪が降りました。
そして春、足元の畦草の小さな花が咲き始めました…   
と書き始めたところで…予定を変更させてください。
今回の語り口は、人。「私」です。

3月11日午後2時46分、
皆さんその揺れを体験したであろうM9.0未曾有の大地震が発生しました
被災地の被害は甚大で、ニュースをみるにつれ、心がざわざわとしています。
また、福島第一原子力発電所の事故の行方が大きな心配である今ですが、
原発によって作られているもの、
それが電気です。それを私たちは受益しています。

舞岡公園の自然観察会のなかで、
毎年電気(明かり)のお話をするのが、夏の夜の観察会です。
舞岡公園内には、外灯(電灯)がありません。それはなぜでしょう。
それは、「夜の谷戸は生きものたちの世界」だからです。
舞岡公園に閉園時間があり、門を設置させていただいているのも同様の理由です。
夜に舞岡公園を開放するのは、この夏の夜の観察会(5回開催)と、
肝試し、むかしのくらし体験(古民家にお泊まりします)だけです。

夏、逢魔が時の谷戸では、
オオマツヨイグサがふわっと花開くと、そこに蛾が蜜を吸いにやってきます。
アオバズクが鳴き始め、夜行性の生きものたちが活動を始めます。
静かでひっそりとした谷戸ですが、多くの生きものたちが息づいています。
マメ科のネムノキは、夜の暗さを感じて葉を閉じます。
人工光、ネオンで明るい街のもとでは、
うまく葉を閉じることができずに、枯死してしまうといわれます。
まっくらな舞岡公園。昼があって夜がある。
夜は暗いもの。そんなあたりまえのようなことに改めて実感したりします。

私たちの生活にとって、電気は必要不可欠なものです。
ですが、舞岡公園の自然のなかにいると、電気の他にも、水や光や火や…
自然のもつもの、エネルギーについて思い巡らすことも多くあります。
舞岡公園は自然の恵みを受け、昔ながらの人の暮らしが、
その外部に頼ること少なく、循環のなかにあることを体現できる場所でもあります。

人が生み出した本来自然界には存在しなかったものが、
海に山に…あらゆる自然に排出されたとしても、
それを知る由もなく、自然はただただ静かに受けとめてゆく。
多くの生きものたちもまた…
「もういいかげんにしなさい」八百万の生きものたちの声が聴こえるようです。
私はそれを舞岡の自然からも学んでいるように思います。
人は自然を壊すことも、守ることもできます。
人と自然の「良い加減」をみつけてゆきたいですね。 
被災地の方々に心からお見舞いを申し上げます。
                                      (生物環境部会)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

世界から日本へ 祈りの声が届いています 

「Pray for Japan」 YouTube


各地からの支援が本格化してきました
家の余った居住スペースで受け入れてくださる方、空き住居を保有されている方が
ルームドナーとして登録。住居にお困りにになった方を支援するサイトです。

被災者住宅支援サイト


今日は、一年でいちばん月が大きい "Super Moon" ですね。
(月と地球が最接近する現象)
これからの日々を、明るく照らしてね。
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by yuima-ru_tanbo | 2011-03-19 20:27 | 「ゆいまーる」にておもうこと

和やかな空気

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稲刈りの日。うれしいメンバーの顔と会えました。
久しぶりの元気な様子。

さっそく稲刈りをやるとのこと。
大丈夫かな?と心配もしましたが、本人はやる気です。
たぶん、みんなが稲刈りをしているのをみたからでしょう。

どんどん刈りすすんでゆきます。
春に田起こしをしたときのこと、「いっぱいやったよね」と言いながら。
無事、ケガもなくたくさん稲刈りができました。


いつもは私に「ゆきんこちゃん(仮名)、やったよ」と言っていた彼が、
今日は、ゆいまーるの長年のメンバーに対して
「おねえちゃん、いっぱいやったね」と連発。

私以外の人にも話しかけ、うれしそうな顔の彼の姿が、
和やかな空気を運んでくれました。
彼には、まわりをそんな和やかな空気にさせるチカラがあるのです。

人の気持ちは、
思いのほかまわりのたくさんの人に伝わり共感できるものなのだと思うと
その分だけなんだかあたたかな気持ちがやってきます。


稲刈りの日。うれしい気持ちに逢えました。
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by yuima-ru_tanbo | 2010-10-16 14:14 | 「ゆいまーる」にておもうこと

ヤマタノオロチ


ことしも案山子の季節がやってきました。
田んぼの秋の風物詩です。

今年も「ゆいまーる」、「かかしまつり」に参加しています。
ゆいまーるのかかしは、今年も藁と竹でつくります。

案山子つくりは、ネットかけのあとの午後に行いました。
まず、たくさんの藁のはかま取りをしました。
(制作日数3日で作りました)

今年のかかしのイメージは、「ヤマタノオロチ」。

今年は、猛暑のせいか?マムシの目撃情報が多いです。
というわけで、思いたった今年の案山子。
「ヘビ」は人にとって、怖い存在でもありますが、
それはまた畏怖の念を抱く、八百万の神のような存在でもあると感じます。
例えば、白蛇は豊穣をもたらす神としても有名です。

ヤマタノオロチ(八岐大蛇)は、日本神話にある伝説の生物です。

なにか、目にみえないものを思う、自然を尊ぶ気持ちは、
もちえていたいと思っています。

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藁を綯って作ります。
注連縄と同じ要領で、
太く長い縄を綯ってゆきます。

藁を継ぎながら、
綯いました。

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八つの頭をもった
「ヤマタノオロチ」 完成♪

(本来は、八つの頭と八つの尾をもつ)


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目は、カラスザンショウの実。
舌は、小枝。

今年も
谷戸のすべての生きものと
実りに感謝して。



「ゆいまーるかかし」クロニクル
2007"ゆいまーる君"(photo:左)  2008"風の又三郎" (photo:右)d0112350_23154474.jpg
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2009"だいだらぼっち"
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わからんちんなものを作ると
ウワサ?のゆいまーる案山子でした ^_^
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by yuima-ru_tanbo | 2010-09-26 11:40 | 「ゆいまーる」にておもうこと

しょうがいとはなにか


このゆいまーるHPのリンク先にもある
ATARIMAE PROJECT 障害者があたりまえに働けるニッポンへ  のHP。
久々に、みてみました。
なんだか、サイトの情報がぐんとふえています。

そのなかで、働く障害者を応援するサポーターになるという
ATARIMAE宣言というコンテンツがあるのですが、
以前、私も宣言してみたのですが、宣言数が33720になっていました。
私の宣言ナンバーをみてみたら、29番目にありました。

(おひまならみてね。メッセージが表示されます。29番目は私です)
ATARIMAE宣言
日本中から、応援がいっぱいなのだと思うと、
あたたかな気持ちになりますね。


しょうがいがあるっていうことは、いったいどういうことでしょう?
環境(社会)により、その定義は大きく影響されます。

とても、大ざっぱな例えで、誤解をおそれずいいますと、
例えば、私は視力が悪いです。メガネは必須です。
アフリカの大地にライオンがいて、
一人は視力の悪い私(メガネなし)プラス、足が遅い。
もう一人が、日本でいう知的にしょうがいがあるとし、足が速いとしたら、
アフリカの大地で、ライオンに追いかけられた場合、
どちらがそこで「しょうがい」が大きい(そこで生きにくい)でしょうか?


「しょうがい」を作り出しているのは、そこで「しょうがいがないとされる人」側からです。
しょうがいがあるとされる人たちにとって、その「しょうがい」はわかりづらいものです。
(知的ハンディの場合は特に)
その人にとっては、自身はノーマルであるからです。

ニッポンで働くといえば、「生産性」「多くできること」など結果が求められるのが常です。
社会のなかでいえば、それが「あたりまえ」でもあります。

それは、「その人なりのせいいっぱい」が評価される世界ではありません。

この大きな生産、経済社会のなかでの仕組みに、
どう、しょうがいのあるといわれる人たちが向き合えるのか。

それは、ひとえに、「その人、一人一人を理解する心持ち」が、
その会社にあるかが大きいように思います。
働くことは、プライドです。
その人のプライドを大切にしてくれる、そんな会社。

私はその会社にはなれないけれど、そんな会社や、
そうあろうとする動きを応援することはしたいと思います。


そしてまた、
もう、ほんとうの豊かさを思う時代なのではないか、
その「生産」「多くできること」から脱した社会のなかで、
しょうがいのあるなし何かを分かつことのない社会(コミュニティ)のなかで生きたいと、
想って在るのが「ゆいまーる」です。

そしてなにより、私にそのことをおしえてくれたのが、
しょうがいのあるみんなとの出逢いと、一緒に添う年月だったのですけれど。

みんなは、訓練、指導のいつも対象者でありました。小さな時からずっとだと思います。
私は、そんな関係性を脱して、ただ一緒にいたいと強く思うようになったのでした。


久々にみた、ATARIMAE PROJECTのHPから、
こんな長文になりました。想いを改めて思う次第でありました。


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ATARIMAE PROJECT のロゴ。
ロゴデザインに込めた想いは、
「"それだけでは完成しないもの"の魅力」だそうです。


ぜひこのページを読んで下さい。↓
「ATARIMAE プロジェクト」の想いと決意 「あたりまえじゃない」今の日常
http://www.atarimae.jp/introduction/index.html
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by yuima-ru_tanbo | 2010-06-27 22:11 | 「ゆいまーる」にておもうこと

田んぼと子ども 2010 〜原体験の風景〜

代かきの作業は、
子どもにとって、いちばん泥んこ、のびのびたのしい作業です。
田んぼのなかを歩くことも、立派な作業のひとつです。
道具を使わず、また田んぼを自由に歩き回れるのも、代かきならではです。


田んぼは、百姓しごと。
やるべきことはしっかりやり、実りのための細やかな技術もあることは事実です。
しかし、舞岡公園は
市民活動のための田んぼであり、谷戸の生きもののための田んぼでもあります。

田んぼコミュニティ「ゆいまーる」では、すべての作業を
参加する方たちができることをできるだけ、ということを大切にしたいと考えています。
子どもに対しても同じこと、なにごとも大切な経験です。

舞岡公園でも近年、子ども(親子)の参加がふえています。
「ゆいまーる」でも、親子で参加くださる新しい出逢いがこの春も続いています。


d0112350_21533465.jpg子どもの頃から、土に親しむことは
理屈ぬきに大切であると、私は考えます。

都市に暮らす人には、
土に親しむということは
日常の暮らしとは少し離れたものに
なっているかもしれません。
ベランダにはプランター、
土は培養土を買う、そんな時代です。

いろんな経験をして
自分の好きなことをみつけてほしい
ということ、


d0112350_2156249.jpgそして、乳幼児期については、
人格形成の基礎作りをする大切な時期であり、
重要な記憶は原体験によって育まれる
ということ。

原体験というのは、
その人の思想や価値観を形成するための
もととなる体験です。
風景=経験や情景が
そのまま記憶されることによって形成される
...のだそうです。

だからこそ、
子どもに田んぼを体験させたいという
ニーズも高いのかもしれません。

私は、なにより、人間は地球人。
大地から切り離しては
生きられないのだから...
そんな想いが根底にあります。


かくいう私も、子どもの頃から
母と、アサガオや、フウセンカズラの種まきを毎年していたし、
ミカンの葉に来るチョウチョの幼虫にじっとみていたりと、
生きものの記憶と両親の記憶は一緒にあります。
小さな野山のてっぺんにあった家だったので、いつも山のなかであそんでいました。
畑も大家さんがやっているのを手伝ったり、いちばんの記憶は、山歩きをたくさんしたことです。

Uターンではないけれど、今の田んぼの活動は、記憶へのUターンのようでもあります。


今は、お百姓さんの田んぼでも、機械化がされ、田んぼに足で立つ機会は少ないといいます。
舞岡公園の谷戸田は、昭和30年代の景観をという思いがあります。
昭和30年代に生まれていないのに、その風景を経験はしてはいないのに、
なぜか「懐かしい」と思うのはなぜでしょう。

先ほどの「地球人」の話ではないけれど、
人間には、緑と土のDNAが組み込まれているようにも思います。
ずっと人は、そうして生きてきた。


去年から親子で参加してくれている方が、感想を

「1歳ですでに農作業に参加している我が子の将来にも期待しています。
続けて参加すれば10才ですでに米作り歴10年ですものね」

と、寄せてくださいました。

私が田んぼに出会ったのは大人になってからです。
「原体験の風景」。自然がその風景のすべてというわけではないけれど、
現代という時代を生きる私たち。豊かで便利な社会。
いろいろな問題あれど、
こころを広く、自分らしく生きる「風景」への可能性が、
確かに此処にあると思うと、なんだか、つづく未来にわくわくもするのです。


2009の「田んぼと子ども」
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by yuima-ru_tanbo | 2010-05-15 13:00 | 「ゆいまーる」にておもうこと

「ゆいまーる」4年目の春。

一年目。
なかなか時間に来ることが苦手だったり、心のいろいろがあり、
「舞岡公園に来ること」がまずステップでした。
二年目。
作業を田んぼの畦から見学。入ることには気持ちがすすみません。
三年目。
作業開始時間に来れることがふえてきました。田んぼにも入ってやってみました。

そして四年目。
畦の近くだけでなく、まんなかまで、自分からやるといい、やりとげました。

「こんなにできたよ〜」 「はいったー」 「できたー」
彼がそう、繰り返し繰り返し言うたびに、

皆が、「すごいね〜」とこたえます。


この何年かのあいだに、彼のこころのなかにはいろんなことがありました。
この「ゆいまーる」での3年間の様子は、そのまま彼のこころのなかのようでした。
そしてそんな彼にいつも寄り添うお母さんの姿がありました。

参加ができなかった度に、何度お母さんから「ごめんね」と言われたことか。。
「大丈夫、大丈夫」そうずっと応えてきました。

生きていれば、いろんなことがあります。
できたからいい、できなかったらわるいというわけではありません。
でも、ひとつ長くあった彼のこころのなかの葛藤をこえられることを信じて
この場処は、いつでも変わらずに、その気持ちに添うときめていました。
私と彼の長年の関係性で培った、
目に見えないかんじんを信じていたからこそかもしれません。


4年目の春。
田起こしをおえた彼は、いい顔をしていました。
その笑顔があれば、それだけでいい。
そんな気分になります。

繰り返し繰り返し言う(ちとくどいほどに言う (^_^) )彼に、
「すごいね〜」と応えるのは、私だけではありませんでした。
そのことが、私にとっては、この上なくうれしいことで、
感謝しきれないことです。
彼にとっても、お母さんや私だけではない、まわりにいる人たちと
共有できることがあり、みとめられ、こうして一緒に笑えることはとても大きいと思います。
そうして、私自身もまたこうした場処にいることを、必要としているのです。
それは、しょうがいがあるとかないとかに関係のないことなのです。

人の気持ちは、思いのほかまわりのたくさんの人に伝わり共感できるものなのだと思うと
その分だけなんだかあたたかな気持ちがやってきます。


これから先も、泣いたり笑ったり。
いろんなことがあるだろうけど、さいごには笑っていたい。
そのために、あるがままに、のんびり
そんなふうにあれる場処、瞬間が、この社会にたくさんあればいいと思いませんか。


写真は、畦に咲いていた花。「母子草(ハハコグサ)」   
 「まあ、お母さんとMくんの花みたいね」と、お母さん。
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3年目の春。のおはなしはコチラ→ 「積み重ねの日々に」2008.4
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by yuima-ru_tanbo | 2010-04-10 21:54 | 「ゆいまーる」にておもうこと

つながりの日々

毎年毎年、四季を通じての田んぼの作業。
思えば、稲は連作の障害なく、育むことができもするのですね。(すごい!)

田んぼコミュニティ「ゆいまーる」は、
人と人のあいだ、人と自然のあいだを、田んぼの活動を通じて結べたらという
想いのもと、始めた小さなコミュニティです。
それぞれの自分のペースをだいじに。
なにかを伝えることを言葉ではなくできたらと思っています。


「ゆいまーる」は、人伝えの活動としている。
さいしょに声をかけた方たちには、パンフレットを2通渡している理由は、
私が信頼する知人から、伝わる人ならば、私も繋がれるね、という想いから。

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                             (c)ゆいまーる

4回めの春を迎え、
「ゆいまーる君」は、人から人へ。
6人知りあってゆけば世界はつながる(Six Degrees of Separation)というけれど、
一歩ずつ一歩ずつ、確実に
たくさんの協力と、知人が繋いでくれた新しい出逢いをもらっている。
うれしいことに、この3年めには、
多くの方から、こちらからではなく声をかけていただけるようになってきた。
参加していただいた方からも、
そして「ゆいまーる君」が出かけた先からの新たなお問い合わせも。


そしてなにより、うれしいのは
3年が経ち、そのなかで参加してくれた方が、ひょっこり顔を出してくれること。
それぞれの暮らしのなかでの3年は、様々で、状況の変化もありながら
定期的に参加するということはたいへんなことでもある。
「ゆいまーる通信」をお届けするなかで、参加されていなくても
心を寄せてくださる方たちがいることに、ありがたいなあと改めて思う。

こうした活動は、参加できないとなんだか気後れしてしまう... 
といった気持ちにもなるかもしれない。
けれど、私はそういうコミュニティにはしたくないなと思っている。
いつでも、どうぞ。 そんな気持ちで、つながる日々を大事にしたい。


ひと粒のお米が1000粒に。 つながりの日々に。
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by yuima-ru_tanbo | 2010-03-31 17:47 | 「ゆいまーる」にておもうこと

だいだらぼっち

ことしも案山子の季節がやってきました。
田んぼの秋の風物詩です。

今年も「ゆいまーる」、「かかしまつり」に参加します。
ゆいまーるのかかしは、今年も藁と竹でつくります。

案山子つくりは、ネットかけのあとの午後に行いました。
(数日かけて作りました)

今年のかかしのイメージは、「だいだらぼっち」。
もののけ姫に出てくる「デイダラボッチ」です。

東日本の山々には、多くのだいだらぼっち伝説(伝承)が残っています。
だいだらぼっちが歩いた足跡が池になった。
頂上が平坦な山は、だいだらぼっちが腰掛けたなど。

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だいだらぼっちは、生と死を司る森の神。

映画「もののけ姫」のデイダラボッチは、シシ神の夜の姿。
山や木や水... 自然、いのち。

物語では、デイダラボッチが倒れ、その死により植物がまた現れてゆきました。
生と死。繰り返すいのち。

↓だいだらぼっちの手には、どんぐり、紅い柿の葉。  ↓白いキノコの生えた角。
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「自然への畏敬」の念を
忘れずにいたいと思います。


d0112350_2351364.jpgd0112350_23523043.jpgクロニクル
(photo:左)
「ゆいまーるかかし」
2007 
"ゆいまーる君"

(photo:右)
「ゆいまーるかかし」
2008 
"風の又三郎"
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by yuima-ru_tanbo | 2009-09-13 16:43 | 「ゆいまーる」にておもうこと

じぶんのペースで


ゆいまーるの田植えのやり方は、「線引き方式」。
水を引いた田んぼに、とんぼに鉄の歯が7本ついた線引きで、四方に線を引きます。

舞岡公園の田植えは、2タイプ。
等間隔に印のついたひもを植えたら動かしながら植える方法と、
田んぼに直接線を引いてから植える方法。

それぞれの方法の特徴でいえば、

ひも方式
・皆同時に作業をすすめる(チームワーク、一体感がある
・みんな同じ作業量を行う
・自分のペースではできない
・植えながら、足跡を消し、バックですすむ

線引き方式
・自分のペースでできる
・前にすすむので、線を消してしまうかも
・線が消えてしまっているところは自己判断

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参加する人の年齢などと考えて、
やり方を決めます。
ほとんどの田んぼでは、ひも方式ですが、

「ゆいまーる」では、
線引き方式で行います。


私の個人的にも、マイペースですすめられるというのが好きというのがありますが、
足跡を消しながら後進するのも、メンバーみんながやりやすい方法ではないのでは、
など、もろもろの判断です。

じぶんのペースで、できる分を。気持ちよくやりたい。
じぶんのペースで、田んぼと向き合うことで、
オタマジャクシや、アメンボとの出逢いもたのしみながら。

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子どもには、
となりのメンバーが声をかけながら。

赤ちゃんはお母さんといっしょ。

しょうがいのあるメンバーには、
はじっこの入りやすい田んぼで、
できる分をやってみる。
お母さんも、畦から手をのばして植えている。

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じぶんのペース、みんなのペースが集う田んぼ。
人と生きものたちが集う田んぼです。

これから、
生きものたちももっとにぎわう田んぼになります
稲の成長、たのしみです。


今日のベストショット♪ 「おーっとっと。セーフ」
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by yuima-ru_tanbo | 2009-05-30 13:51 | 「ゆいまーる」にておもうこと