ゆいまーる

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カテゴリ:「ゆいまーる」にておもうこと( 38 )

田んぼの意味 その2


今回の「ゆいまーる」の脱穀作業は、古民家の前で行いました。
なんだかいい風景です♪

d0112350_21531183.jpg5月に
「人と人をつなぐ、
「結」としての田んぼの魅力を想います」...と、
「田んぼの意味」2007.5.30 に記しましたが、

手作業での脱穀の作業は、
人がおおぜい関わることでできるということを
近くで感じることが多い作業です。

稲穂をはずしたお米の周りに集まり、
ほんとに細かい作業なのです。た〜いへん!

今回の作業には、しょうがいのあるといわれるメンバーも参加してくれました。
農作業のおもしろいところは、誰にでもできることが作業がある、ということです。
そして、この作業は難しいかな...?と思われる作業でも、
隣で見守る、手を添えることで「できるよ!」と、
みんながみんなおんなじ作業を体験してみようとする素地が、
舞岡の田んぼに参加する人たちのなかに受け継がれています。

だから、しょうがいのあるといわれるみんなに対しても、
隣にいる人は、いわゆる「援助者」ではありません。
一緒に、その作業をその時間を愉しんでいる人です。

私が「援助者」であったというプロの視点であえていうなら、
いちばん大切なことは、その人なりに伝わる言葉(言語に限らない)をえらぶということ。


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こんなふうにみんなで、お米の周りに集まって、
ワイワイやるような作業のなかには、
みなさんのやりとりは自然とふえるものです。

隣にいる人に伝わるように伝え方を考えたり、
協力して作業しやすいようにしたりと、
自然とそんなふうになってゆくものです。

それは、上記に書いた「いちばん大切なこと」は、
じつは、協同作業には自然と必要になってくるもので、
しょうがいの有無に関わらず大切なことなのだと思うのです。

自分と他者(人であり、環境(生きものや植物など)であり)という存在に
思いを巡らせること。
人と人との接点にしあわせがある。
私はそんなふうに感じていて、
なにより、私にそれを教えてくれたのが、
しょうがいのあるといわれるみんなであり、田んぼのなかにあったという想いがあります。

「ゆいまーる」を"田んぼコミュニティ"とうたっているのは、そういった意味からです。


いろんな人たち、いろんな世代が集まれるということも、おもしろいなあと思います。
みんなでシートの上で食べるお弁当の時間には、
若い世代が知らない、体験などの話も出たりして、
それは驚きであるとともに、有意義な時間でもありました。

なにかとなにかを分かつことのない社会を。
ちいさなちいさな田んぼでも、
「かんじん」がたくさん育ってる。そんな「ゆいまーる」であれたらいいな。
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by yuima-ru_tanbo | 2007-10-31 21:54 | 「ゆいまーる」にておもうこと

収穫考


「ゆいまーる」今年の収穫量は、籾の状態で22.8キロとなりました。(面積66㎡=20坪)
 ※昔の単位では、「一坪」は一人が一日に食べるお米がとれる面積。(一坪=約3.3㎡)
  (昔より現代の方が3倍以上収量が良いそうです。)

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その量は、稲刈りのときに数えたとおり、
4本植えの870株の苗が、1株25本ほどになり、
1つの穂(1本)に 50粒強だったので、
(他の田んぼより少ないです。
舞岡の平均は100粒くらい。農家さんは120粒くらい)

50×25×870=1087500粒

22.8キロは、
100万粒のお米の重さです。


舞岡のお米は、みんなが活用できるようにとの理由から、餅米ですが、
お茶碗一杯で考えてみると、
お茶碗一杯=約2000粒として、(こんもりのご飯は3000粒)

1087500÷2000=543.75杯 のお米ということになります。

一日2食お米を食べるとして、一人で9ヶ月分のお米の量となります。
一年分には少し足らないということになります。
四人家族としたら2ヶ月分とちょっとというくらいでしょうか。

重さから考えれば、
精米をしたら、籾殻がとれ、糠がとれ、66%くらいの重さになります。(舞岡調べ)
なので、食べられる量は、約15キロほどになります。

ちなみに収穫したお米は、たぶん来年の炊き出し(3回かな、4回かな ♪)で、
お餅つきをしたり、おむすびにしたり。
残りは、収穫祭などで市民のみなさんに振る舞われます。
公園での、里山を守るための稲作は、地産地消。お米も公園の外には出ません。

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ひとりの日本人が、
一年食べるお米をつくるには、
どのくらいの土地が必要であるのか。
ゆいまーるの田んぼでは、
すこし足りないということになります。

みなさんの食卓ではどうなるでしょうか...?


1億人以上の人が住むニッポン。日本の食料自給率。お米は100%です。
田んぼの風景はどんどん少なくなっているけれど、
自給できる田んぼの面積が日本にはまだあるということです。

昔の日本人は、今の2.5倍のお米を食べたそうです。
現代は、主食中心からおかず中心となり、麺類など他を主食とすることもふえています。
お米の需要が少なくなったことも、
田んぼが減っても自給率が保たれていることの理由といえるのでしょう。

値段もありますね。
ゆいまーる田んぼで15キロのお米とすると、ン千円の値段。
農家さんが生活をしてゆくには、どれだけの広さが必要なのでしょう。
広さが必要=機械化 そして農薬の使用...止むに止まれぬ流れなのかもしれません。

そして、
毎日食べている食料のほとんどを外国からの輸入に頼り、
しかも、輸入した食料の1/3をそのまま食べ残し=捨てているという現実。
きっとお米だって、たくさん食べ残されているはずです。

先日の NHKスペシャル「ライスショック」 では、
お米を輸入する動きなど、新たな問題が取り上げられていました。

多くの国で、日本のために食糧が作られている。(他全体の日本の食料自給率は約40%)
それを作っている人は、安い賃金で地主に雇われ、重労働をしている。
その人たちの多くの人たちはその作物を食べることはできない...
お米も、そのひとつの作物ということになってしまうのでしょうか...?


d0112350_0492848.jpgこれからの日本はどうなってゆくのだろう。
日本人の主食。私たちの主食。

田んぼで汗し、自らの食について考えることも、
田んぼの作業の、
大きな意味のひとつだと感じます。

ひと粒、ひと粒。もったいなくて、拾う。
お茶碗一杯の尊さを思うこと。


機械ではない、人の手による小さな田んぼ、里山の田んぼは、
ひと粒のお米の種が100粒の実りとなる植物の、いのちの恩恵を、
いのちの繋がりを感じる田んぼです。
「(いのちを)いただきます」の意味を、ひとりひとりが、もっとイメージする世界を。

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できれば自給したいなあ...
他からのシステムばかりに頼らず、
自分に繋がることは自分でできる力を。

これからの日本を自分はどうしたいだろう。
まずは、自分にできることから。
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by yuima-ru_tanbo | 2007-10-22 18:42 | 「ゆいまーる」にておもうこと

車座でおしゃべり会 〜 MINAMATAから 〜

d0112350_19182154.jpg今日のゆいまーるは、作業のあとに、
MINAMATAをテーマに
おしゃべり会でした。

ゆいまーる隊(!?)は、
古民家へ。
風が抜ける古民家。
畳の部屋で、車座でおしゃべり会。


ざんねんながら、
坂本しのぶさんが体調がすぐれないとのことでお逢いすることができませんでした。
昨日の東京での、しのぶさんと澤地久枝さんのお話は、とても心動かされました。

ので、坂本さんの紹介を兼ね、わたしがおしゃべりしてしまいました...

水俣で何が起きたのか。
便利さを享受している私たちの暮らしの先に、起きたという事実。
水俣は、この日本で、世界で起きている様々な問題の縮図のようだということ。
澤地さんの、人間としてしあわせに生きるための前提として水俣があるというお話。

舞岡公園の田んぼの存在と、つながる水俣。
循環する「農」とこれからの持続可能な暮らしについて。

しのぶさんが、これからどうやって生きてゆくのか不安に思う気持ち。
「ゆいまーる」に参加してくれているしょうがいのあるといわれるみんなのこと。
今の日本の福祉について。
しのぶさんや、みんながたのしく自由に暮らせる社会
=私たち、みんながたのしく暮らせる社会となるとおもうこと。

しのぶさんの人間力に心うごかされた人たちがおおぜいいること、
また、わたし自身もみんなとの出会いによって、心うごかされ今に至ること。
添うことから、共感から生まれる想像力のかんじん...

d0112350_19152989.jpgちと自分ばかり
いっしょうけんめいしゃべりすぎたかな...
と反省しています。

「伝わったよ」と声をかけてもらったり、
「知らない状況にあったんだなあ」と
感想を聴かせてもらえたりできて、
よかったなあ...と。



今後も田んぼの作業を通じて、「言葉にしない伝え方」を大切にできたらなあと思います。
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by yuima-ru_tanbo | 2007-08-14 16:14 | 「ゆいまーる」にておもうこと

人伝え 〜偶然の必然〜

「ゆいまーる」は、人伝えの活動としている。
さいしょに声をかけた方たちには、パンフレットを2通渡している理由。
それは、私が信頼する知人から、伝わる人ならば、
私も繋がれるね、という想いから。

d0112350_11534758.jpg中学の同級生にお知らせしていた
「ゆいまーる」。
卒業以来、逢えていなかったけれど、
賀状で、近況を伝え合っていた友人と、
今回の「ゆいまーる」で久しぶりの再会。
そして友人が繋げてくれた人たちも来てくれた。
するとその一人がなんと、小学校の同級生。
学校がおわると、近くの色々な公園に集まって
日々泥んこになって遊んだ友だちだった。

「ゆいまーる」に参加している友人の友人であったりもする。
つながっておもしろい。

地元話に花が咲く。当時のあだ名で呼ばれるのが心地よい。
私は、小、中、高、大、そして現在と、呼ばれる愛称が違う。
その学年でもちがったりするので、その呼び名は、今や彼女の専売特許。なつかしい。

子どもの頃、舞岡公園のできる前、よく探検にきたこの里山。
舞岡公園ができたころ、学生となっていた私たちの世代は、
色々に忙しく、地域から縁遠くなっていった。
全国、世界各地から、視察に訪れるような舞岡公園。
地元にこんな公園ができたことの幸いを、案外地元の人たちが知らないこともある。

子どもの頃、この里山で遊んだ世代が、未来の子どもたちへ引き継いでゆくことも
大切なことなのではないかと思う。

「ゆいまーる」を始めて、
たくさんの協力と、知人が繋いでくれた新しい出逢いをもらっている。

人から人へ。
6人知りあってゆけば世界はつながるという。(Six Degrees of Separation)
世界に伝われとは思わないけれど、
こうやって、自分だけでは伝わらなかっただろう場処へと届いた
必然の偶然に、ほくほくした気持ちになる。
あらためまして、みなさまありがとうございます。
(^_^)/
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by yuima-ru_tanbo | 2007-08-11 18:45 | 「ゆいまーる」にておもうこと

ネットかけに想う


d0112350_1846388.jpgネットかけの作業は、とくに、
みんなと力を合わせる面白さが
あるなあと感じます。

たとえば、杭を打つ時、
掛矢をたたく人
そして、
杭をおさえる人、のぼるイスを支える人。
いろんな役割があるのです。

男の人と女の人、子どもと大人。力ぐあいもさまざま。できることも人それぞれ。
「農」の作業には、
自分ができることがかならずあるというのがおもしろいところですが、

d0112350_18493985.jpgネットかけは、「ネットをかける」という
そのひとつの目的のために、
杭を打つ、杭を支える、ネットを持つ...
といった、
力ぐあいの異なるひとつひとつ、
一人一人が集まって達成できるというのが、
体感できる作業です。

いろんな人が参加できるという可能性。
心地よい可能性。

d0112350_1913127.jpg田んぼに、ピンと張られたネット。
「やったー!」の達成感。

田んぼにいるといつも思う
この和やかさ。ナンダロウ?

みんな自然と笑顔でいられる。
個人と個人のぶつかり合うような
居心地のわるさはそこにはない。

一緒に体をうごかし、汗するなかで、
人を、自然を、受け入れる。ただただ受け入れる。
そんな感覚が生まれるような気がします。
そして、そこに在る、緑たたえる稲は、そんな私たちを受け入れてくれ
実るほど頭を垂れてゆくのです。
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by yuima-ru_tanbo | 2007-08-11 18:43 | 「ゆいまーる」にておもうこと

私 と MINAMATA

去年の春(だったかな?)、代々木公園のアースデイを散策していたとき、
黒い文字が印象的な、ブースがありました。
それが、「水俣病」「水俣フォーラム」との私の出会いでありました。
MINAMATAを伝える写真の数々がありました。
ふと見てみようと入った私でしたが、
患者さんの姿に、その実情が差し迫ってくるようでずっしりとした気持ちになりました。

しかし、ふと目に留まった写真が一枚ありました。
胎児性の水俣病の我が子が成人を迎え、家族、親戚が揃った記念写真でした。
振り袖を着て、抱きかかえた我が子を囲む、両親の笑顔、親戚中の笑顔、笑顔、笑顔。

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その写真に、じわーっと、人間のあたたかさのようなものを感じたのです。
そして、その感情のつながりを思いました。"みんな"のことです。
心を通わせること、人と人との接点が
「目にみえないかんじん」であり、「ほんとうのしあわせ」だと私は感じています。
そのことを私に教えてくれたのは、長年一緒に時間を過ごした
知的ハンディキャップがあるといわれるみんなでした。

知らない人は、「たいへんねぇ」という言葉を使うかもしれません。
たいへんなのには変わりないこともあることもきっと事実。
だけれど、心と心が添うこと(知ること)で、
自分の方がいろいろに心に壁を作っていたかもしれないということに気づく。
知ることからすべては始まる、そう思います。

水俣病は、ビニールなど現代の便利さを求めるなかで企業が引き起こした、
環境破壊であり、人、そして多くの生きものたちへの「いのちの問題」です。
そして、その便利さを享受しているのは私たち自身なのです。
そのいのちの問題に多大な被害を受けた水俣の方のこんな言葉があります。

「チッソ(有機水銀を海に流した加害企業)は、私であった」

私は、このことを知ったとき、MINAMATAが遠くの問題ではなく、
近代を生きる自分の問題なんだと思いました。
そして、MINAMATAを知る、考えることが、
この「ゆいまーる」の田んぼの活動にも、
自分のライフワーク(いのちの仕事)にも繋がっているのではないかなと、
今感じています。
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そうして... ご縁があって、
8月の「ゆいまーる」に、熊本から坂本しのぶさんが遊びに来てくれることになりました。
坂本しのぶさんは、胎児性の水俣病患者さんです。
彼女は、1972年のストックホルムで開かれた、
環境問題についての世界で初めての大規模な政府間会議である
"国連人間環境会議"に参加し、世界に水俣病を訴えました。
当時彼女は16歳。
その後の彼女の人生。そして今の想いを、
田んぼの作業をご一緒しながら、お聴きする時間を持てたらと思っています。
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by yuima-ru_tanbo | 2007-07-27 21:40 | 「ゆいまーる」にておもうこと

田んぼの意味


d0112350_2165091.jpg代かき、田植えの5月
稲作の繁忙期であるこれからの時期は、
人のココロもおどります。
子どもたちが、どろんこになって
畦を歓声とともに駆けてゆきます。

ああ、いいなあ

みつめる大人たち。思わず笑みがこぼれます

舞岡公園の田んぼは、
その舞岡公園憲章にもあるように、自然とともに、人が生きる場所です。

d0112350_21201841.jpg生業としての田んぼではなく
自然を守ろうとする田んぼ

そんな田んぼの新しい価値観、価値。

私は、そこに、
人と人をつなぐ、
「結」としての田んぼの魅力を想います。

稲を育てる、身体を動かすこと、
一緒にその時間を過ごすことで芽生えるもの。
言葉より、その風景が何よりも雄弁にこころに語りかけるのです。

この世の中に、社会に いろんな人がいるということ。
そのことの素晴らしさを、私はこうして分かち合いたい。

知ることから何かが始まるのなら
それは教えられるのではなく、自らが気づき、その先を見いだしてゆきたい。

自分が此処にいることの意味 自分がいることで繋がってゆくいのちの環
自分を大切に思えるということ 
自分を大切にできることから、きっとすべてにつながってゆく。

ちいさなちいさな田んぼでも、
「かんじん」がたくさん育ってる。そんな「ゆいまーる」であれたらいい。

田んぼは稲を育てるためだけの場所ではありません。
たくさんの生き物と、人本来のココロを育む場所なのだと思います。


”舞岡公園憲章”

私たちは、横浜市の原風景である谷戸を愛する市民です。
舞岡公園は、水や土、それに人間をはじめとする、
生きとし生けるものの調和によって成り立ってきた谷戸の景観をとどめています。
この緑あふれる谷と丘を良好に維持保全し、ながく後世に引き継ぐことを目的として、
ここに憲章を定めます。

・私たちは、舞岡公園で自然と触れ合い、
 様々な生き物たちと共にあることを大切にします。
・私たちは、谷戸で引き継がれてきた文化や農体験を大切にします。
・私たちは舞岡公園を、市民の手作りによる、市民のための公園にします。

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by yuima-ru_tanbo | 2007-05-30 16:05 | 「ゆいまーる」にておもうこと

みんなといるから大丈夫

初めて田んぼに入る。初めての感触。
歩いてみる。歩きづらい。
後ろを、もう一人の人に支えてもらいながら、
田んぼを端から端まで歩いたよ。

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ひとりだとむずかしいことだって
みんながいれば大丈夫。
おおぜいいれば、
おおぜいいるほど、
みんなのできることを
合わせたら、たくさんになるね。

みんなといるから大丈夫。


一人の人が歩いたその道(2人ですね)。
足を踏みしめたことで、その道筋は、土が柔らかくもなるでしょう。
三本鍬で起こすのもよし、歩くのもまたよし。
辿り着く先は、おんなじ。
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by yuima-ru_tanbo | 2007-04-14 18:38 | 「ゆいまーる」にておもうこと